
平賀源内という名前は、社会の教科書で一度は見たことがありますよね。
でも、記憶としてはこんな感じではないでしょうか。
「土用の丑の日の人でしょ?」
「エレキテル作った人でしょ?(ていうか、エレキテルってなんだっけ?)」
正直、私もそうでした。
しかも、「エレキテルを作った人」というのも実はちょっと違っていて、 正しくは「当時、日本には存在しなかった西洋の電気機械の原理を研究・理解し、国内で初めて復元した人」なんです。
ちなみにエレキテルは、簡単に言えば“発電機”です。
でも、平賀源内という人を知れば知るほど、私たちフリーランサーがリスペクトすべき存在だと感じずにはいられません。
知ったからには書かなければいけない!
この記事では、そんな源内先生の功績・人物像・生涯を、面白く・ざっくり・敬意を込めて紹介していきます。
読んだあとにはきっと
「尊敬する人は、平賀源内です!」
って言いたくなるはず!
🧠 平賀源内ってどんな人?
- 生没年:1728年(享保13年)〜1780年(安永8年)
- 出身地:讃岐国(今の香川県さぬき市志度)
- 職業:本草学者、蘭学者、作家、画家、発明家、蘭方医、地質学者…
- コピーライターみたいなこともできる、つまりスーパーマルチクリエイター!
🏆 主な功績・やったこと
🌟 発明
【平賀源内の主な発明品】
- エレキテル(摩擦起電機)を復元
- 火浣布(かかんぷ)
- 寒熱昇降器(かんねつしょうこうき)
- 電気の灯(でんきのひ)
- 風呂の自動かきまぜ装置
- 鉱石・薬品の人工生成
- 宣伝技術(キャッチコピーの先駆け)
- “コピー機”の原型!?「石刷り法」
- その他(風車応用・携帯便器・歩数計などのアイデアも)
📚 学問・翻訳
- 蘭学(オランダ語)に通じていた数少ない人物
→ 医学や科学技術をオランダ語の原典から学び、日本へ紹介。 - 『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を編纂
→ 自然界のものを体系的に分類し、江戸の本草学の基礎を築いた。本草学は植物・鉱物・動物などの自然界の物が人間の健康・暮らしにどう役立つかを研究する総合自然科学みたいな学問。
💡 広告・プロモーション
- 「土用の丑の日にうなぎを食べよう!」というキャッチコピーを考案したとされる
→ 夏に売上が落ちるうなぎ屋の相談を受け、「“う”のつくものを食べると元気になる」と発案。
🖋 作家としても活躍
- 滑稽本『根南志具佐(ねなしぐさ)』などユーモアあふれる小説を執筆
→ 芸人ばりの発想で江戸の庶民に親しまれた。
🧭 生涯の流れ(ざっくり)
年 | 出来事 |
---|---|
1728年 | 讃岐志度に生まれる。武士の家の出身。 |
青年期 | 医学を学ぶため長崎へ。蘭学・本草学を修める。 |
江戸へ出て活躍 | 医学・科学・発明・文章・美術など幅広く活動。 |
中年期 | エレキテルを復元。学問と実験が話題に。 |
晩年 | ストレスと孤独で心身ともに疲弊。 |
1780年 | 喧嘩の末に相手を刺し入牢。獄中で病死(享年52)。 |
ここではざっくり年表でまとめましたが、生き様がものすごくドラマチックなんですよ。
そのお話は次回語ります。
🎭 人物像とエピソード(ざっくり)
- とにかく好奇心の塊!当時の常識にとらわれない破天荒な発想で周囲をどよめかせた。
- お金にルーズで借金も多かったらしいけど、憎めない人柄だったとも伝わる。
- 「発明バカ」と言われるくらい、何でも分解して試していた。
- かなりのおしゃれ好き!洋風ファッションも好んでいたとか。
🔧 発明エピソードをピックアップ
エレキテル(摩擦起電機)を復元
西洋から伝わった「摩擦起電機(エレキテル)」を、日本で初めて復元したのが平賀源内。
電気を溜めて放電させる実験を行い、江戸の人々も「ビリビリするぅ!」と驚く。
でも当時は「で、これ何の役に立つの?」と実用化には至らず、見世物ショーのような扱いに。
発電機を披露するには時代が早すぎた。
火浣布(かかんぷ)
「燃えない布」=防炎布を作ろうと、中国の古文書を参考にして考案されたのが火浣布。
麻などの布を薬品処理して、燃えにくくしたもので、火事の多い江戸ではかなり画期的だった。
現代の防炎素材の先駆けとも言える発明。
寒熱昇降器(かんねつしょうこうき)
温度の変化を測定できる装置、つまり今で言う「温度計」っぽい機械を日本で初めて作ったのも源内。
水銀や気圧の変化を利用して、気温の上昇・下降を数値で見えるようにした。
ちなみに、この発明のきっかけは「オランダ製温度計が高すぎてムカついた」ことらしい。
遊学先の長崎で、オランダ製の「水銀温度計」を目にした源内は、技術的にはスゴイけど、「えっ!?こんなもんで金何両もするの?」と同時に価格の高さに驚く。
そこで、「だったら自分で作って、日本で量産して、海外に逆輸出すれば儲かるじゃん!」と「科学的興味」「商売の勘」「発明への意欲」が爆発した……のかもしれない。
電気の灯(でんきのひ)
エレキテルの応用として、電気の力で「光を出す」実験も試みていた。
ちなみに、日本で実際に電気の灯がついたのは1878年(明治11年)東京・虎ノ門の工部大学校(いまの東大工学部)での実験で、実際に街灯がついたのは1882年(明治15年)の東京・銀座と言われてます。
なので、平賀源内の試みは1世紀も早いことになる。
江戸時代にすでに「電気で明かりがともったら便利じゃね?」って思いついてたって、どう考えても早すぎるしロマンがすぎる。
風呂の自動かきまぜ装置
お湯がムラなく温まるように、水流で自動的にお風呂をかき混ぜる装置を考案。
お風呂自動かき混ぜ装置って、ドラえもんのひみつ道具?って感じだけど、今で言うところの“循環ポンプ”みたいなもので、生活の知恵×科学の発想!
どっちかっていうとキテレツ大百科。
鉱石・薬品の人工生成
さまざまな鉱物や薬品の成分を分析し、人工的に染料や薬を作る研究にも熱中。
とくに「青色の顔料」を人工的に抽出しようとしていた記録があり、化学への理解もかなり深かった。
宣伝技術(キャッチコピーの先駆け)
「土用の丑の日にうなぎを食べよう!」というキャッチコピーを考案したのも源内とされているのはご存知の通り。
夏に売上が落ちるうなぎ屋から相談を受け、「“う”のつくものを食べると元気になる」と言い出した。
現代にも影響を与えてる偉大なマーケター。
“コピー機”の原型!?「石刷り法」
文字や図を石板で複製できる「石刷り法」という技術も考案。書いたものを何枚も印刷できるようにするという、“コピー機”のはしりみたいなもの。
情報の伝達効率を考えていたあたり、発想が時代を超えてる。
その他
風車の応用装置(→風力利用の模索)
風車の動力を何かに使えないかと模索していた形跡もある。自然エネルギーを活用する発想をすでに持っていた可能性が高い。
万歩計のような“歩数計測機”を考案したという逸話も
今でいう「万歩計」のような、歩数や移動量を測る装置も発明しようとしていたという話が残っている。未来の人間か?
軽くて丈夫な“携帯用便器”(←旅人のため)
旅の多い江戸人向けに、持ち運べる簡易トイレ=“携帯用便器”を考案したとも。トイレまで発明対象にするその発想力、もはや無限大。
📌平賀源内のお話。続編もあるよ
今回は、発明・翻訳・プロモーションなど、平賀源内の功績とマルチな才能についてご紹介しました。
次回は、彼の人物像(実は元々香川藩の藩士って知ってた?)や生涯、解体新書でおなじみの杉田玄白や小田野直武との関係、晩年の孤立と獄中死の背景など、「人間としての源内」に焦点を当てて面白くご紹介しますのでお楽しみに!
コメント