当ページのリンクには広告が含まれる場合があります。

悪い人じゃない。でも、話すと少し疲れる人の話

📝 雑記・その他

悪い人ではない。
むしろ、明るく話してくれる人ではある。
でも話してると「なんか疲れるな…」と感じること、ありませんか?

今回は、そんな「会話の小さなズレ」について書いてみます。

なお、この話は、誰かを攻撃したいとか、特定の立場の人を批判したいという話ではありません。
ただ、日常の中で「この人と話すと、なんだか少し疲れるな」と感じたエピソードトークです。

こんなことがありました

近所の共用スペースに、利用ルールが追加されたときのこと。
その内容について知りたいことがあったので、顔見知りの女性に会った時に聞いてみたんです。

その人は、顔を合わせれば明るく話してくれる、同年代の女性です。

私が「もし知ってたら教えてほしいんだ。あそこの共用スペースさ、利用ルール変わってたみたいで…」と聞こうとすると、

「そうだよね!あれ、すごく助かるよね!うち、子供いるしホント助かる!」

と、すごく嬉しそうに回答が返ってきたんです。
そのあとは「今までさー、〇〇だったじゃん?うちの子も使いにくいって言ってたから、ホントありがたいよねー」という話が繰り広げられ、私が聞きたかったことに「何?」とか「どうしたの?」はありません。

この時点で、「そういえばこの人、普段から子どもの話題が多い人だった」と、忘れていたことを思い出してしまいました。

「うちの子も〜」で返される会話が苦手です

彼女は、明るくカラッとした女性で、噂好きとかの困るタイプでもありません。
だけど、会話が続くと疲れる感じがするのも事実。
普段は挨拶だけにしているのですが、出かけるときにバッタリ声をかけられたこともあります。

その時は、私の膝の怪我で病院に行くところでした。
「どこ行くの?」と聞かれたので、膝を怪我したから病院に行くというと、彼女が「うちのお兄ちゃんも怪我してさ〜〜」と話し始めました。

私のことを心配してほしいわけではないけど、「大丈夫?」の一言もないまま、「うちのお兄ちゃんも〜」という話が始まったことに、「あ、まただ」と感じます。

とはいえ、怪我をしたと聞いたら、こちらは心配になります。
「大丈夫?もういいの?」と返したのですが、よく聞いてみると、その怪我は2年前の話でした。
じゃあそれは、今まさに膝が痛くて病院へ向かっている私にする話だったのかな……と、モヤモヤ。

さらに、よくよく聞くと、「お兄ちゃん」は彼女の長男のこと。
「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「じいじ」と言われても、誰から見た誰のことなのか、私にはすぐにわかりません。

私が疲れることはこれ

このやりとりで、疲れてしまったポイントは3つあります。

話を奪われる

今回は知りたいことがあったから話しかけたということもあって、私の「もし知ってたら教えてほしい」を飛び越して、話を奪われたことに「あ、まただ…」と反応してしまいました。

膝イタのエピソードも、秒で彼女のお兄ちゃんの話になりました。しかも2年前の。
相手が伝えたいことを受け止めるより前に、自分の子どもの話を聞いて欲しいのかな。
でもそうなると、私の話はどこに行くの?と、ちょっとがっかりしてしまいます。

決めつけで共感を求められる

共有スペースの利用ルールの追加について、「すごく助かるよね」とみんなが助かることを当然のものとして接してきたことにも疲れます。

世の中にはさまざまな考え方の人がいます。決めつけて接することは危険だと私は思っています。
ルール変更に伴って不便に感じる人もいると思うので、「助かるよねー」と当たり前のように言われても共感できないこともあります。

「うちの子」の話題

これについては、あくまで私が感じている会話の相性の話です。

話の持っていき方がいつも「うちの子」になることにも疲れます。
彼女の場合、うちの子自慢ではないんです。すごくナチュラルに「うちの子」の話にすり替わるだけで。

たとえば、近所にできた新しいお店の話題では、
私「あそこに新しいお店できたよね、もう行った?」
彼女「うちの子が行ってたよ。うちの子さ、××と▲▲に行ったときにさ〜〜」

新しいお店の話題ではなく「うちの子が行った話」にすり替わります。

洋服の話になった時、私が「古着が好きで、よく見に行くよー」と言うと、
「うちのお姉ちゃん(たぶん長女のこと)も好きだよ!この前も、お兄ちゃん(たぶん長男のこと)とパパ(たぶん旦那さんのこと)と一緒に買いに行ったみたいでさー」
とすり替わる。
私がしたかったのは古着の話です。

こちらからどんなボールを投げても、返ってくる球がいつも「子どもの近況」になると、会話としては正直つまらない。

誰の「お兄ちゃん」問題

家族内の呼び方が、そのまま外の会話に持ち込まれることにも少し疲れてしまいます。

「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」「じいじ」「ばあば」といった呼び方は、家族の中では自然ですし、広く使われていることもわかっています。
ただ、関係性の薄い相手に対して、その呼び方で伝えられても誰のことを指しているのかがわかりにくいのです。

「お兄ちゃん」が彼女の長男のことだと思って聞いていたら、途中で実のお兄さんの話が混ざっていたこともありました。
「じいじ」も、父方なのか母方なのか、こちらには判断できません。

細かく説明してほしいことでもないですが、前提を共有していない相手には、「長男が」「義理のおとうさんが」「実家の母が」と言ってもらえた方が、話を追いやすいのです。

家族の中では自然に通じる言葉でも、外の人にはそのまま伝わらないことがあります。
そのたびに、こちらが頭の中で相関図を描きながら聞くことになり、そこにも少し疲れてしまいます。

共感のつもりなのかもしれない

彼女と知り合って数年経ちますが、この違和感がずっとあります。
今回のことをきっかけに、なぜ私が気になってしまうのかを考えてみました。

そこで気がついたのが、
この人は相手の話を受ける前に、自分の記憶から近い話を出すことで共感を返すタイプなのかも、ということ。

人の話を聞いたときに、自分の中にある似た経験を出すことで「わかるよ」と伝えているのかもしれません。
ただ、彼女の場合、その似た経験として出てくるものが、だいたい「うちの子」の話なだけで。

家族の話題が多い関係性の中では、「うちの子もこういうことがあって〜〜」と返すのは自然なのかもしれませんが、私としては「私の話はどこに行ったんだろう」と感じてしまう。
本人は共感しているつもりなのかもしれませんが、毎回こちらの話が横に置かれて、さらに「よその家の子」というなんとも反応しにくい人の近況報告になる。

私自身も気づかないうちに、誰かの話を自分の話で返してしまっていることはあると思います。
だからこれは、誰かが悪いという話ではなく、会話の相性や距離感の話なのだと思います。

多分、距離を置くのがいちばんいい

若い頃なら、こういうことがあっても
「悪い人じゃないから、ちゃんと付き合わないと」
無理して疲れ果ててしまうこともあったのですが、今はもうそんなことは思いません。

悪い人じゃなくても、自分に合わない人はいっぱいいます。
相手が悪いとか、自分が気にしすぎるとかそういうことではなく、生きている環境が違うと、思考や話がズレることは当たり前にある。
ただそれだけのことなので、どちらかが無理に合わせる必要はない。

年齢を重ねて、相手がいい人であっても合わない人とは無理に深い話をしなくていいと思うようになりました。
用件は笑顔で話します。
長話になりそうなら、早めに切り上げる。
相手は変わらないから、接し方の舵取りは自分でやる。
無理にわかり合おうとしすぎず、ほどほどの距離でやっていくのがいちばん平和なのかもしれません。

コメント